喪主とは葬儀の代表 富士市における喪主・施主の実情
「喪主って、結局なにをする人なんですか?」
これは私たち葬儀業界の人間がよくいただくご質問のひとつです。
答えは、「故人様のお見送りをする人、お参りに来ていただいた方へご挨拶をする人」です。これらが主にする内容です。
葬儀というのは日常とは縁遠い行事です。いざ直面してみると、やらなければいけないことは山ほどあるのに、何をどう始めたらいいのか分からないというのが本音ではないでしょうか。
そんな中、「喪主です」と名刺のように紹介されても、本人が一番ピンと来ていなかったりします。
喪主って何をする人?
まず基本からおさらいしましょう。
喪主(もしゅ)とは、「喪に服する主(あるじ)」という字の通り、葬儀における遺族の代表です。
たとえば
- 葬儀を取り仕切る
- 参列者へのご挨拶
- 僧侶のご案内
- 閉式の挨拶
- 火葬場でのお見送り
などが主な仕事になります。
葬儀においてあらゆる「大事なところ」で登場する主役級のポジションといえるかもしれません。
ただし実はこの喪主ですが、現代では少しその立場が複雑です。
というのも似たような立ち位置に「施主(せしゅ)」という役割もあるからです。
喪主は誰がなる?
葬儀を行う際には、基本的には「喪主」を決めます。ただし誰が喪主になるべきなのかということが、よくある悩みの1つです。
たとえば世帯主が亡くなった場合ですが、以下のようになります。
- 配偶者
- 配偶者がいなければ子ども
- 孫や兄弟、甥姪
などと続きます。
実際には、故人ともっとも深い縁のある方が喪主となることが多いです。
人によっては「喪主=男性」とイメージされる方もいるようですが、女性の方が喪主になることも問題ありません。
誰がならなければいけないという明確な決まりはないのです。そのため家族の話し合いで決めるのが一番です。
なかには、兄弟などが「共同で喪主」を務めるという珍しいケースもあります。ただしこれは、「三人寄れば文殊の知恵」となる場合もあれば、「三人寄っても方向バラバラで進まない」という場合もあり、見ているこちらが冷や汗をかくこともあります。
喪主と施主、どう違うの?
「喪主は心の代表、施主は財布の代表」
これは業界でよく使う説明です。
施主とは、「お布施をする主」と書きます。つまり葬儀の費用を負担し、主催者として儀式を進めていく人のことです。
一般的には、喪主と施主を同じ人が兼ねることが多いのですが、事情によっては分けられることもあります。
喪主と施主を別けるケース
たとえば喪主が若くて費用の負担が難しい場合は、親族の中で経済的に支援できる人が施主となり、喪主とは別にその役を担います。
もちろんこれは絶対そうである!ということではなく、そういったケースもあるということです。
では富士市に焦点を当ててみたいと思います。
富士市の「ローカルルール」?
地域によってお葬式の風習は変わるものです。そして富士市にも特有の流れがあります。
喪主は配偶者が一般的
私たちのエリアでは、故人様に連れ合い(配偶者)がいらっしゃる場合、その方が喪主を務めるのが一般的です。
しかし連れ合いがいない場合、喪主を立てず施主一本で葬儀を行うことも多いです。
都会では施主は聞きなれない!?
ちなみにですが、この「施主一本スタイル」。
都会の人に説明すると「え?喪主いないの?」と少し驚かれることがあります。
そもそも「施主」という言葉自体が都市部ではあまり馴染みがないようで、実際に葬家(葬儀を行う家族)の方から「施主ってなに?」「聞いたことないけど……」という反応をいただくことがあります。
中には、「施主ってなんか・・・責任重そうで怖い・・・」とプレッシャーを感じてしまう方も。
そんな時、私たちはこうお伝えしています。
「大丈夫ですよ。施主さんのお仕事は特別難しいことではありません。お返しの品に添える礼状にあなたのお名前が入り、ご挨拶の意味を込めてお渡しする。それが主なお役目です。」
プレッシャーを感じるお気持ちはわかります。だって大事な人を送る責任者、人生に何度も経験することではありません。だからこそ、そのサポートをすることが葬儀社のスタッフの大切な仕事となっているのです。
まるで飛行機の副操縦士のように、いざという時は隣に座ってナビゲートします。あとは「着陸のタイミングで挨拶してくれたOK」くらいの気持ちで構えていただければと思います。
施主が二人となるケースも
極まれなケースではあるのですが、施主が2名の場合もあります。たとえば兄弟で一緒に・・・というパターンです。
まとめ:喪主とは、あなたの“思い”の代弁者
喪主は葬儀を取り仕切る役割ではありますが、もっと本質的には、故人を想う「心」を形にする代表者です。
葬儀が終わったあとも、法要(四十九日や一周忌など)を取り仕切ることも多く、故人の供養を通して家族の気持ちをつなぐ存在ともいえるでしょう。
喪主や施主という立場に立つことは、確かに責任も伴います。でもそれは「大切な人を大切に送る」という家族として自然な気持ちの延長なのかもしれません。
いざその時がきたら、不安もあると思います。でも大丈夫です。だからこそ私たち葬儀屋存在するし、寄り添うのです。